カニの記録 85

 

生きとります。

 

怪我も病気もなく年が越せてそれが何より。今年はあまりややこしいことは考えず、シンプルにバイトとライブ、曲作って録音、25日の仕送り滞りなく、それちゃんとやれたらよし、と今のところ思う。去年の12月20日以降は特に忙しかったけど、寝れる時は用事後回しで寝て、なるべく銭湯行ったり朝風呂もするようにして、風邪にも全然罹らなかったです。

 

 

12月21日は和歌山の本町文化堂さんでライブさしてもらう。本屋プラグを閉めて本町文化堂として生まれ変わり、お店のロゴとかも描かせてもらったり、お店のご夫妻には非常にお世話になった。どんな感じのお店になってるのか見るの楽しみにして行ったけど、めっちゃお洒落になって、店内も広々してて、なんか凄いこと成し遂げはったなと嬉しい気持ち。

 

ライブは2階のイベントスペース的なとこで演らせてもらう。ラグジュアリーな椅子が並べられて、本棚を後ろにライブするのん、タイニーデスクコンサート出てるような気分。

 

 

ライブ後にお酒を奢ってもらって、ご夫妻と活動家みたいな若い女の子と4人で飲む。一人もんの身の上としては、誰かとご飯一緒に食べれるだけで嬉しい。みんな選挙の話とか政治の話とかよくしてて「めっちゃ選挙の話するな」と私が言うと、普段はもっとするらしい。ほとんど話には付いていけなかったけど、へぇ〜とか思うことも聞けたりして、その聞いたこともすぐ忘れてしまったけど、なんか楽しい時間だった。

 

 

和歌山駅前のカプセルホテルに泊まって、早朝神戸に戻り、諸々ライブの準備をやり直して西元町まで原付で出る。テントコーヒーの佐藤くんの紹介で大西ビルゆうとこでお店してる人らのイベントに参加し、投げ銭ライブさしてもらう。わりと長年ライブしてるので、この日のライブがどんな雰囲気になるだろうなってことは予想は出来てて、まあ思うてた通りの雰囲気ではあった。ほとんど誰もカニコーセンに興味なかったし、曲を聴いてもらえてる感じもしなかったけど、決めたこと決めた通りにやってジャスト1時間、投げ銭くれる人にはありがとうとお辞儀し、無視する人には心ん中で中指立てて、任務終了、ダッシュでアパートに戻り、荷物を整理し直し、大阪へ移動。

 

 

師走のなんば、地下街も人が溢れ返っていた。人混みをギターケース背負ってカートゴロゴロ引きながら歩いていると、ほんとに一人ぼっちだなって感じる。そうゆう生き方を自分で選んだんやけども。

 

夜の部のライブはなんばmeleであった少女模型(ショウジョマネキン)のメンバー、圧倒的りゅんさんの生誕祭に参加。名前が一緒で気になってた「蟹光船」のライブも初めて見た。演奏もライブ運びも上手い印象、ボーカルの男の子が岡村靖幸とチーマー足したみたいな雰囲気、90年代っぽい要素盛りだくさんで面白かった。

 

 

アイドルグループのライブも初めて見る。東京サイコパス格好良かったし、ライブもめっちゃ楽しかった。アイドル応援する人って、多分頭も良くて、社会性もちゃんとある人が多いんやと思うのは、もちろん内輪ノリになりがちなとこはあるけど、ちゃんと私でも優しいモッシュに参加できるよう誘い入れてくれたりと、お客さん一体になってライブ作り上げてるの感心する。少女模型も可愛いかったなあ、華奢やのに力強い圧倒的りゅんさんの歌と踊りに感動。

 

 

ライブに来てた知り合いのお客さんに聞いた感じだと、アイドルのライブとかも少し下火になってるらしく、私は何のトレンドもブームも知らずに生きてるなあて改めて思う。なんせ自分の中で一番新しい音楽がジャミロクワイやからな。

 

 

ライブ来てくれた焼肉まやちゃんのご主人から、養育費と言って3000円もらう。

 

 

meleで買った花くまゆうさくのTシャツ気に入ってる。

 

翌日23日は前半カンプリ。半月ほど前に実家の母親から正月どないすんのと電話があり、まだ映画館のシフトが決まってないから、また分かったら電話するわ、みたいな流れがあり、カンプリの納品回ってる車の中で実家へ電話。1月2日の夜が空いてるから晩飯だけ食いに戻るわ、と母親に伝えると、2日はみんな来るねんけどなぁ、昼間やったら行けるけど、とやや拒否られてる口ぶりだったので、ほなまた別の日にするわ、と電話を切る。実家に拒否られてること、全然ええのだが、でも少し悲しくも思ってる48歳の自分、何なんやろ、と笑ってしまう。

 

後半銭湯。年内に配らないといけない銭湯のチラシが全然配れてないのがすごく気になって、少しだけでもと思い30分くらい配りに行く。一昨年の年末は31日も配り行ってて、そんな時間の余裕は今年なさそうだし、またあの残念な気持ちに戻りたくない。

 

翌日24日は銭湯の定休日清掃。途中から掃除抜けてチラシ配りに移行さしてもらう。

 

 

夕方3時間近くかけて配り終える。最後らへんに回しておいた菊水団地のポスト群を見たとき、やっとこのモヤった気持ちから解放される!と涙が出たついでに、我慢してた小便も少しだけ漏らす。18時前の団地、もう空は真っ暗で、仕事終えた人が帰宅したり、デイサービスのワゴン車がひっきりなしに出入りしてたり、普段見ない感じの人の生活を垣間見る。

 

 

翌日25日はカンプリのあと十三レインコートで池田ちゃまらさんとライブ。いつも出番前に行く立ち飲み屋で飲んだ金宮焼酎がやたら回って、本番は史上ナンバワンにベロベロに酔っていた。こんなにベロベロでも普通にライブ出来るんや〜って自分は思ってたが、見てる人からは普通じゃなかったんかもしれない。「めっちゃ楽しー」ってライブでほたえたんは覚えている。

 

翌日26日は映画館と銭湯。その翌日27日はカンプリのあと毘沙門ライブ。夕方、東福寺駅のホームで電車を待ってると実家の母親から「あんた、2日どないすんの」と電話。どうゆうことなんかわからんくて、余計面倒になり、また別の日に帰るわと同じ返事を2回繰り返してるん何?て笑う。

 

 

 

ほんで毘沙門。知ってる顔ぶれの人が集まってくれて賑わう。空空クラブの曲を自分の新曲のていでやったり、焚いてくれたスモークに咽せたり、楽しい夜だった。今年もサッカさんには色々お世話になった、精神的フォローな部分でも。ほんで左京区から終電でちゃんと神戸まで戻る自分を一番褒めてあげたい。

 

翌日28日。朝ちょいゆっくりだったので、昨晩話した山ぐるみくんの話を思い出し、久々に竹脇まりな先生のお腹ぽっこりエクササイズ、二の腕痩せエクササイズをやってからカンプリの大掃除へ。夜にさか田さんでライブがあり、そのPAなども持ってタクシーで行こうと思ってたけど、中々タクシー捕まらず、小走りしながら気がつくと43号線まで出てきてしまい、もうええわとカンプリまでも小走り、遅刻せずに入れたがドッと疲れ、ドッと汗をかいた。体力的に今年一番しんどい時間だった。

 

 

大掃除のあと、お店でパーティー。遠慮なく、寿司ガンガン食う。一年通して、割と気分的に浮き沈みある自分に対して、いつもフラットな感じで接してくれるカンプリの社員さんら、他愛もない世間話をしてくれることで、いつも波打ってる情緒を平らにさしてもらって、本当に感謝してます。

 

 

ほんでさか田さんでライブ。毎年2階の席までお客さん多勢来てくれるけど、今年の客足はその半分くらい。神戸での自分の周りの人の流れ、なんとなく変わってもたなって雰囲気を前々から感じてたし、でもいつも変わらずライブの手伝いしてくれる人、お客さん少人数でも見守ってもらって、いいライブさしてもらいました。

 

 

ライブ後、久々にさか田さんと二人だけで下らん話したり面白かった。また一年後のライブに向けて曲作ってライブしてを粛々と繰り返す、ほんま自分に出来ることそれだけです。ライブ見たお客さんから「カニさん、曲がってたんが、もっかい曲がって、元に戻ったな」って言われて、何となくわかる気もするし、元ってどこ?って気もするけど、まあそんな暗くはない気はする、けど暗くても別にいい、とも思う。森田正馬先生、これで合ってますか?

 

 

翌日29日。朝風呂して千鳥温泉に向かう。千鳥温泉来るん今年3回目で、今年一番ライブしたんが千鳥温泉いうことになる。もうセッティングも慣れたもんやし、お客さんの顔ぶれも知った人で、伸び伸び演らせてもらう。ライブ終わりに何故か女将さんから花束もらって、不意やったので普通に喜んでしまった。多分、カニさんの家には花とかないんやろな、と思ってくれたんやと思う。

 

ライブのあと、お客さんらとシカクへ買い物に行き、また千鳥温泉に戻って一緒に風呂に入り、サウナや湯船に浸かりながら話したり、童のちんぽ見られるん恥ずかしい問題もあらかた克服、とても楽しい時間、このルーティンをずっと続けて行けたらいいなと思う。私が何であるか、なんて考えても仕方ことだけれど、人と人の中に居たら、その形が自然に見えてくるんかもしれないな、とか思う。

 

 

千鳥温泉から大阪駅までお客さんの車で送ってもらい阪急電車で庄内へ。三軒目酒場ニューカレドニアでライブさしてもらう。お客さんも知った顔ぶれ、さざなみメンバーのマサモトさんと吉備津くんも初顔合わせ出来てよかった。ライブ後にもりたにセンセと飲む。センセが顔面にディストーション掛けながら喋るん眺めながら、私も結構飲んだ。

 

翌日30日。朝は銭湯の沸かし作業と掃除。この年末、もし怪我するとしたらこのタイミングやと注意しながら作業し、無事に終えれてよかった。バイト上がりで京都へ移動。

 

 

西院ネガポジ年内最終営業の催しに参加させてもらう。漫才ありライブありのイベントで、若い女性のお客さんが多かった。今日日、女子にモテたければバンドではなく漫才なんやなと感じる。

 

 

完全に終電乗り過ごし、ネガポジのソファーで寝ることに決める。とりあえずタダで食える鍋をなるべく沢山食う。ビールも飲んだ。

 

 

みんなワイワイやってる中、口にガムテ貼って早々に寝る。途中、うっすら目が覚めたとき、誰かが喧嘩してたんだけ覚えているが、朝になるとみんな普通に飲んだり麻雀してたり平和だった、ていうかもう大晦日やん。

 

始発で神戸に戻り、朝風呂と仮眠してから銭湯バイトへ。13時の開店からお客さん押し寄せ、顔が引き攣るほどテンヤワンヤ、浴室の中は夏休みの市民プールみたいな状態になってた。酒疲れや寝不足もあって頭が回ってなかったようにも思うが惰性でやりきり、17時に最終バイト終える。ほんで荷物持って大阪へ移動。

 

 

JRと阪急の間の横断歩道の脇で、ガザ地区への募金活動をしてる人らがいた。けど募金せずにハードレインへ小走り。何日か前にも思ったけど、人混みを変な竹笠背負って歩いてるこうゆう時に、ほんま独りぼっちやなと思う。だからライブやるしかないんやな、ていう気持ちになる。ほんま変な人間やと思う。

 

 

ハードレインの中は出演者とお客さんでごった返し、自分の出番の前にサングラスを無くす。こないだの空空クラブの時と一緒でお客さんの誰かからサングラスを借りてライブし、やっぱりて感じでライブ終わると普通にサングラスが見つかった。オータムスに伴奏してもらって2曲、今年最後に力出し切れたかどうか、自分結構格好悪いなと思いながら飛んだり跳ねたりしながら歌ってたけど、おっさんなりに頑張ったとは思う。いや、わしは物凄く頑張ったんや、で結果どうであれ、もうええやないか、俺。

 

 

出番のあと、The Fax、オータムス、メシアと人々、ガリザベンくん、BLONDnewHALF、傑出した人らのライブを次々に見る。ライブハウスに気持ちええ音の塊が充満していた。あうんさんすうじぃさん今年はアンモニアンズのライブも含めると100本以上ライブしてて、でもBLONDnewHALFはもっと多くて150本くらいらしく、やっぱり人間ライブが資本主義、カレンダー見ながら自分のライブ本数雑に数えてみたら84回くらい、カニコーセンもまだまだ頑張らなければだが、バイト3つしながらだともうこれくらいが限界な気がする。

 

 

ハードレインから大阪駅へ歩いてる途中で年越し。臨時列車の中で寝て、ちゃんと神戸駅で目を覚ます自分が素晴らしい。神戸駅は湊川神社へお参りする若者で溢れかえっており、帰宅する途中の道にはスモーク貼った黒ベンツ、ぴちぴちのスエット履いたヤンキー達、最寄りのファミマの前でみんな屯してカップラーメンを啜り、何がしたいねん、とちょい呆れるが、そんなん人の勝手。それより夜通しで働くコンビニの外国人アルバイトさん、この人らの奴隷みたいな労働がないと私たちの経済や生活が成り立たないことを思うと、右翼の神さん拝むんに行列作ってる場合なんやろか、と考えたりもする元旦。

 

 

ほんで朝風呂して銭湯バイトへ。7時のオープンから15時で上がる時間までお客さん絶えず、バタバタする。でもまだ大丈夫だと思ってた、案外自分は体が丈夫なんだと、でも昼過ぎに浴室でお爺さんがのぼせて倒れ、救急車を呼んだり何だかんだ、その対応したあと一気に年末からの疲れが噴出、浦島太郎の玉手箱ではないけれど、一瞬で10歳老けた気がする、こんな疲れ感じるん生まれて初めてのことだと思う。

 

 

 

うう、体が怠い、と思いながら元町映画館へ行きバイト。眠くて怠くて常連の男の子がめっちゃ話かかてきても、うんうん頷くのが精一杯。でも別にトラブルなく元旦のバイトを終える。帰り、久々に映画館の社長と居酒屋へ飲みに行き、しょうもない話をゲラゲラ笑いながらして気力が戻る。自分ら正月から唐揚げ食うてるなと思うと、もう生きる道は決まったような気がする。

 

過去をウジウジ引きずりながらの自分の性格は変わらない、過去を気にせず今を生きるんだ!そんなことは自分には出来ない、だからどうせ後で振り返るだろう今を、なるべく悔やまんもんにしたい、けど多分そんな上手いこといかへん、だから結局この先も今と何ら変わらんまま、あーだこーだ屁理屈思いながら唐揚げを食う、ただそれだけなのだ。

 

 

 

翌日1月2日。朝からオープンの銭湯は比較的落ち着いてのんびり作業。バイト中に三度実家の母親から「あんたどないすんの」と電話がある。電話切ってから、もうええやん、と笑ってしまう。終わりがけに自転車屋の野間くんが加古川から自転車で銭湯入りに来てくれて、バイト終わりに路上飲み、そのままアパートに戻り、速攻布団敷いて12時間睡眠。

 

 

翌日3日。朝風呂のあと、何となくポストを見に行くとさざなみの吉備津くんから年賀状が届いていた。こんな悲しい絵柄の年賀状もらうん初めて、訳わからんくて最高。

 

 

次のライブは中津のインディゴであります。来れたらよろしくです。