西成のライブの翌日は銭湯のバイト。前日に無事リニューアルオープンして、初日から賑わったみたいで良かった。オープン前日まで、わたしは風呂場の結石カリカリやってただけやけど、長くリニューアルに携わった人らにとっては自分や仲間達の手でリニューアルしたゆう達成感はひとしおだろうと思う。おじさんにはそんな経験ないけど、年の功ゆうやつで何となく想像働くよ。おつかれさん、おめでとさん。
オープン翌日、銭湯の仕事がどんなんか分からんまま出勤。券売機がまだ使えないので、番台に座ってお客さんからお金をもらう手伝いをしたり、掃除をしたり。番台に小型のターンテーブルが設置してあって、脱衣所とスチームサウナに音が流れる仕組みになっている。最初行ったときお洒落な洋楽レコードが回っていた。私が番台に座ってると店長の松田さんが「カニさんもレコード持って来てかけてくださいね」と声をかけてくれた。しかし自分は今回ってるような洋楽レコード持ってなくて「甲斐バンドとかしかレコードないですわ」と返事したら、松田さんが「あ、甲斐バンドありますよ」と持参した20枚くらいのレコードの束から甲斐バンドのライブ盤を取り出してかけてくれた。確率的に甲斐バンド出てくるとは思ってなかったので、自分が思ってるよりも甲斐バンドってすごいんかも。
写真は銭湯で働く従業員の新聞の版下。新聞は浴室の壁に貼ってあるので、続きがきになる方は入浴料450円払って読みに来てください。
バイトの時給は1040円で、給食の仕事より1時間あたりにもらえるお金の額としては多く、かつ気分的にもめちゃくちゃ楽である。給食の仕事は日当8000円で、毎日16時きっかりに終わるんはありがたかったが、日によっては30分早く出たり、場合によっては死ぬようなスピード感で働かねばならなかったのが嫌だった。もちろん頑張ってやれば続けれんことはなかったけど、嫌だなと思うことを続けてたら気分も滅入るし、目がどんどんつり上がってくる。50歳近くなって、子供もこれからお金がかかるという時期にフリーターになる父親ってどんなんやねんとももちろん思うが、どうせ安いお金で使われるんなら、気楽な方を選ぶんは別に間違ったことでもないような気もする。正社員でなければ世間や家族に後ろめたいような気持ちさえ捨てれば、別に働き方なんてなんでもいいようにも思うけど、まあ必要な月額があるので、それはなんとか守りたい。
休憩時間は湊川公園へ行く。私が弁当食ってる後ろの席では、晩飯を終えたおっちゃんが再び公園に戻って来て将棋を指していた。映画館に勤めてた頃も湊川公園でよく休憩をした。また湊川公園に戻ってこれたんが嬉しいなと思いながら弁当をパクパクしてるとメリケンパークの方で花火がボンボン上がっていた。
新しい湊河湯のネオン看板。デザインが可愛いすぎる。来られるお客さんは銭湯好きの若者もいるけど、やっぱり近所のおじいさんおばあさんが多くて、皆さん銭湯が再オープンしてとても助かってる様子。新開地〜湊川は銭湯が多いけど、毎日行くとなれば出来るだけ近い方がいいし、東山商店街のアーケードとほぼ直結してるので、徒歩やカート引いて歩いたりする人には雨の心配もマシなんかもしれない。行楽で来られる人も商店街とセットで楽しめる場所だし、誰でも使えるシャンプーとかボディーソープとかも置いてあって、50円の貸しタオルもあるので会社帰りや遊びのついでに手ぶらで寄れるシステムもええなと思う。
13日は午前中に東山商店街の稲田で串カツと持ち込み缶酎ハイ。楽しいことしかしてないから腕に浮いてた血管がどんどん薄くなってってる。
この日のスケジュール的には西成のライブの時に釜晴れに忘れもんしたので、それを取りに行ってから京都へライブしに行く予定。
昼の1時に釜晴れに着いたらサナエさんが三角公園の祭りがあるよとプログラムをくれた。おっちゃんらがスイカ割りとか綱引きとかしてるの絶対面白いから見たかったけど、あんまし時間なかったのでタバコ1本だけ吸いに三角公園へ移動。
公園の手前の道で、顔色のいいおっちゃんが真っ直ぐに話しかけて来て、釜ぼこバンドの人だった。問わず語りの2万字インタビューが急に始まりそうな予感だったので、10分ほど話聞いてから、ちょっと他のんも見ますわーとバイバイする。ほんで2分ほど経過して公園の写真撮ったりしてたらまた釜ぼこのおっちゃんが話かけてきて自分ヒストリー。何度か受けた会社の面接で「あなたの長所は」と聞かれ「人の話を聞けることですかね」と答えたが、実際は人の話を聞き流すのが得意なのかも知れない。おっちゃんが自衛隊隊出てから釜ヶ崎来るまでのエピソードを聞き流したところで、またうまいこと遠ざかる。
三角公園から出るとこらへんで、車椅子の夫婦とすれ違った。夫婦にもいろんな形があって、車椅子に乗ってるのは70代くらいの絶対元ヤクザのおじいさん、車椅子を押してるのは胸から背中、肩から手首まで、即ち上半身見えるとこ全部刺青のおじいさん、と言っても着てる服はおかあさんもののシャツにロングスカート、くるぶし丈のレース靴下、主婦もののサンダル、明るめのブロンドカツラに白いハット、口調も公家的な丁寧さで、すなわち軽井沢の避暑スタイルのおばあさん、風のおじいさん。絶対昔は鬼みたいに恐ろしい追い込みかけたに違いない、けど今は主婦、おしどり夫婦、自分の拙い語彙ではうまく伝えられない、そうゆう複雑な人生も釜ヶ崎なら受け入れてくれる。
釜ぼこバンドのおっちゃんから逃げ回ってて吸うの忘れてたタバコを50円のカフェオレ買って道で吸う。路上に座る当たり前の権利が釜ヶ崎にはまだぜんぜん残っているが、釜ヶ崎以外にはない。路上や公園は我々のものなのに、いつのまにか遠慮の固まりに占拠されてしまった。
動物園前から地下鉄と京阪と叡山電鉄乗り継いで三宅八幡駅へ。叡山電鉄乗ってるひとはなんか賢そうに見えるなと思いながら電車に乗ってると、対バンの尾崎くんがふらっと乗って来た。
三宅八幡の駅から徒歩2分で会場の陽ノ光に到着。ライブはPAなしの生音なのでリハもほとんどなし。時間が余ったので近くの酒屋で缶酎ハイ買って道端で飲みながら一服。行きの電車で一緒になったガラクタ姉妹の妹さんと再び出くわし、道端に座ってわりかし込み入った話をする。
ライブは関係各位がお客さん呼んで集めてしてくれて、ちゃんと形にしてくださりありがたかったです。いろんな事情や付き合いでこの場所に居てるお客さん、初めて自分のこと知る人も多いだろうし、名前だけでも体で覚えていってくださいスピリッツで歌った。思春期のお兄ちゃん二人連れのご家族がいて、親の付き合いでこんなおっさんのライブ見さされて、一切オモロない時期ナンバーワンやろなと歌いながら申し訳なかった。でも今日のこれも彼らの運命やから仕方がない。
東京から京都に仕事で移って来た尾崎くん夫妻がまた東京に戻るということで、尾崎くん夫妻の京都さよならライブの趣旨もあって、なんかまあ元気にやるだろう、あんま深い付き合いではないから知らん言うたら知らんねんけど、見た感じ、彼らなら。
ライブ終わって叡山電鉄で出町柳に戻るとき、来てたお客さんに車両で話しかけたら「カニコーセンさんのMC聞いて私と一緒や、とびっくりしました」というので、おそらく20歳以上はなれてる彼女と何が一緒なのか気になって聞くと、映画館に勤めてたのをやめる→弁当の工場(だったと思う)に勤めてすぐやめる→銀水湯で働き出した、の流れが全く同じだった。まあ、そんなこともあるだろう。お互い銭湯の仕事を長く続けれたらええですね。
出町柳に出て、ライブを主催してくださったゼニヤインクの社長夫妻に晩飯奢ってもらえることになり、はじめて村屋に行く。老若男女店員お客入り乱れるような賑わいで、流石の人気店ぶり。社長夫妻と今日のライブの反省や今後のカニコーセンの売り方など話してるうち、ゼニヤインク本チャンの仕事周辺のことに一瞬だけ話が及んで、そのときだけ社長夫妻の顔つきが鋭くなり、やっぱビジネスの世界は怖ええ、と若干怖気付いた。社長夫妻から仕事頼まれる立場じゃなくて、ただ飲み食いをご馳走になるだけの立場で本当に良かった。
翌日からはまた銭湯のバイト。休憩中にスマホを見たら、陽ノ光のライブに家族連れで来てたお母さんからDMが届いていた。読むと一緒に来て終始退屈そうにしてた長男さんが自分のパソコンにカニコーセンステッカーを貼ってましたよというお知らせで、ステッカーだけでもプラチナ世代に受け入れてもらえて、インディゴ世代のおっさん嬉しいわ〜ってなりました。
今週のライブ↓↓
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