休ブログへの道

ブログ辞めますって書いといて、すぐまた書いてる毎度のパターンですが、これにはわずかばかしの理由があり、昨日の朝起きて、息子の弁当作ってる台所の嫁さんのところに「おはようございます」と挨拶しに行くと「あのさ」で始まり「ちょっといいかな」に続き「なんかブログ辞めたみだいだけどさ」で少し間があって「今までよ!何もかも散々明け透けに書き散らしたくせによ!なんだい!あのシレーんとした終わらせ方はよ!なめんなよ!ケーっ!けったくそ悪い!かりにもよ!7年半ママゴト私小説家気取りでボンクラブログ書き散らかしてきたんならよ!最後のケジメくらいちゃーんと着けたらんかい!この!白髪坊主のアダルトチルドレンが!日暮里の檀一雄の墓石に顔ごとぶつけて自分で自分の前歯2〜3本へし折ってこんかい!」と叱咤激励いただきまして、なのでブログ休むへの道程を書かねばと思った次第です。

 

今年の4月末から2ヶ月近く経った今まで、ブログでいうと282回から299回にあたる夫婦間の動乱ていうか、本当は自分が勝手に繰り広げてる関ヶ原(遡って読みやすいようにリンク貼っといてあげますね、関係ない回もあるかもやけど 282 / 283 / 284 / 285 / 286 / 287 / 289 / 290 / 291 / 292 / 293 / 294 / 295 / 296 / 297 / 298 / 299 / 休ブログのお知らせ )についての詳細と、その都度感じた過去のことなどを書いてブログを締めたいと思います。どんな順番で書いたら書きやすいんか判らんし、とりあえず時間順で書いていって「ていう訳でブログ辞めます」に繋げれたら思います。

 

今年の4月の中頃(282くらい)から、嫁さんと付き合う以前の心情を思い出して切なくなったり、ニッケパークタウンの駐輪場でさかりの猫がゴロゴロいうてるのに遭遇したり、神戸駅前の信号機でフェイクな首吊りしてるサラリーマンに遭遇したり、姫路まで寝過ごして夜中に自宅まで歩いたり、何気におかしなバイオリズムになっていた。4月26日は確か仕事が早番で、自宅で晩飯をワイワイ喰うたあと私は2時間ほど2階の内職部屋で作業をし、嫁さんは諸々の家事などを一階で済ませ、多分もうそろそろ嫁さんも寝なあかん時間かなと思ったので、自分は内職を切り上げ「2階空けたからベッドで寝てや」と声を掛けに行った。性欲的に悶々としてないこともなかったけど、別にセックスさしてくれや、という意味ではなく、おやすみの挨拶のつもりで私が嫁さんの両肩を少し触ろうとした瞬間、嫁さんの顔が左右上下不均等に歪み、内臓の奥からハァアアアアアアアと大きな溜息が吹き出た。

 

私は嫁さんの反応に激しく傷ついて、ほんで2年に一回くらいの周期で起こる大癇癪の発作に陥り、嫁さんが2階のベッドに行ったあと風呂に入りながら、怒り狂って風呂場の壁を足でどんどん蹴り、このまま自宅に居れば何もかもを滅茶苦茶に破壊してしまいそうなので、というかそんな冷静な判断とかではなく単にいつもの習慣で、外へ歩きに飛び出した。

 

ウーウー唸りながら加古川の河原まで歩いて出て、河川敷の雑草を蹴散らしながら歩き、アーやらウーやらと叫ぶ。大阪の上新庄で嫁さんと同棲初めた頃から結婚して今までの17年間で、何回目のこれだろうと思いながら草を蹴り続ける。誰かに話を聞いて欲しいけど、真夜中の河原には私しかいないので、私が私に語りかけ「いやー、何なんすかね、祟りですかね」「墓参りちゃんと行ってるけどなんでかね」「そらもう宿命や思って諦めるか、このまま加古川の川んなか、ジャボーン!と飛び込んで瀬戸内海まで流されたどないでっか」そんな会話を一人でしながら、時より思い出したようにギャーと発狂し、しかしいつにもまして全く怒りがおさまらない。

 

数時間同じことをしてればそのうち疲れて眠たくなり、自宅に戻って寝て、ほんで翌朝とかに「すいませんでした」と嫁さんに謝り「こちらこそ」ていう感じで少なくとも2〜3日すれば治るだろうといつもの感じで考えていたけど、なんか今回は感覚的に一線を超えるような衝動があった。だいたいこのように取り乱す原因が自分の性格にあり、なので嫁さんが時より冷たくすることに関して恨みは感じつつも、とにかく自分が謝れる状態に落ち着いて謝ってすれば、また元に戻れるといつもは考えるのだが、もう怒りの量が半端ない感じで、このままだったら頭も体も捩じ切れてしまうような気がして、そのうちハッ!という閃きがあり、自分がこうなることの原因は自分にあるだけじゃなく、2人の間で起こった問題なのだから、半分は嫁さんに原因があり、だから嫁さんにも私に対して謝ってもらわなければならない、でないと不公平だ、今まで一人で抱え込んで来て損した、あいつはズルい、そんな風に考えが移ってしまった。

 

「嫁さんが悪い」という新しい受け皿が出来たから、様々な不満や怒りがそちらへどんどん溢れていき、しまいにはアイツが悪い、俺はそんなに悪くない、なんとかアイツに謝らせてスッキリしたい、よしメールしようと思いつく。怒り狂ってるくせに自分はいたってクール、冷静、みたいな感覚で文面を考えて書き込み、真夜中に自宅へ戻って嫁さんにメールする。そのまま自宅の1階で過ごし、夜中のうちに嫁さんが起きて来てくれて話ししたかどうか、記憶がぼんやりしてるが明け方の4時頃まで一睡もせず、その日は遅番だったけど、そのまま仕事の準備をして始発で神戸まで行った。仕事の時間までカプセルホテルで仮眠しようとか考えたけれど、多分寝れないだろうし、なんかしらの作業をしようと思ってマクドに入り、ノートパソコンをカチャカチャしてると、嫁さんからメールの返信が届く。その時の心境としては、嫁さんが謝りのメールをくれてたらいいのにな、そんな風に考えてたが、内容的には嫁さんもカンカンに怒っていて、昨日の晩から自分の内に大きく膨らんだ、播磨灘に浮かぶ黒いブイのような塊が一層容積を増して、胸が押しつぶされ息が出来なくなる。そして「自分はあなたに冷たくされて、こんなにも傷付いている」そんな内容のメールをまた送る。すると嫁さんから「謝るから、とにかく家に戻って来て」と返事が届いた。

 

その日の午前中は長男の中学の参観日があり、仕事の前に行くつもりをしていたので、神戸から自宅へは戻らず、そのまま一人で中学校に向う。その前に朝からやってる散髪屋に行ってバリカンで丸坊主にしてもらった。完全にノイローゼの人がやりがちな行為である。中学校の教室につくと嫁さんがいて、一瞬目が合うが殆ど表情がない。ただの嫁さんの無表情が被害妄想の私には小馬鹿にされてるように見える。結局嫁さんと言葉を交わすこともなく、教室の近くにずっと居るのも辛くなってきて、また仕事に行った。

 

仕事場に行き普段通りに過ごしているけれど、もう胸が苦しくて押しつぶされそうになり、じっとして居られない。何度も便所に行ったり水をガブガブ呑んだり、ほんでもう我慢しきれずに受付のパートさんの所に行って話を聞いてもらう。パートさんとパートさんのご主人さんの間でも、わたしと被るような遣り取りがあり、なんとなく「うちはこんな感じやよ」とアドバイスをもらう。結婚して以来、いつからかハッキリ判らないけれど、気が付いたら嫁さんが私の名前を呼ばなくなっていた。過去に何度かあった喧嘩のときにも、わたしは名前を呼ばれてない」ということを口論の武器として使い、その都度「じゃあ何かしらの名前で呼ぶよ」となるものの、結局呼ばれずじまいだった。パートさんも過去に交際した人から名前を呼んでもらえなくて悩んだことがあり、とりあえず名前は読んでもらうよう教えてくれた。

 

自宅に戻り嫁さんと話すれば、いつもの流れで解決するだろうと期待していた。結局は自分が一方的に許してもらいたかっただけなのだが、自宅に戻ると嫁さんは布団に入っていた。期待が外れた私はまた激昂し、嫁さんを起こして会話を求める。嫁さんも昨晩は一睡もしておらず、寝るのは当り前のことなのだけど、わたしとしては見捨てられたような気がしたのだ。そして夜中の12時頃に1階の居間で嫁さんと激しく口論し、長男が煩くて寝れない」と起きてくる。もう嫁さんも絶対にこれ以上は我慢ならない勢い且つ的確な正論で私を攻め、わたしはただの田舎のおっさんがワーワー云うてるだけの反論しか出来ず、そのうち完全に私が叩きのめされて、体がマジでガクガク震え出す。もう終わりだと思った。この精神状態が明日も続けば、わたしは精神病院に入らなければならないと云った。今思うと全部が子供の脅し方である。ソファーの隅で私がガクガク震えてる間、嫁さんは石みたいに其所に居た。ながらく沈黙があって、そのあと私はジワジワと嫁さんに母性が足りないことを責め立て反撃しだす。これもいつものパターンで、結局いつものパターンに持込んだことによって嫁さんが折れる形になり、わたしの名前も呼んでくれるように決まった。もう夜中の3時近くだったけど私はホッとして寝た。嫁さんがそのあと寝れてるのかどうかは判らない。

 

それ以降の一月余り、嫁さんが私の名前を呼ぶ、セックスを月2回する、生活の中での積極的にスキンシップするなど、アメリカ人がしそうなイチャイチャ感を嫁さんへの課題とし、わたしはわたしで自分が激昂しやすく傷つき易い性格を心療内科や心理カウンセリングで直していくように計画し、出来るだけ夫婦でデートに出掛け、わたしは家の片付けとかを今以上に積極的にやり、台所に飾る花などを買い、遅番の時でも嫁さんは極力起きて待っていてくれて、30分ほど一緒に晩酌するなど、仲のええ夫婦ってなんとなくこんな感じやろな〜を強要しつつ続ける。表向き嫁さんとラブラブした感じで私はまあまあ満足していた。ほんで何かにつけ、思いつきであれやこれやを嫁さんに注文し、わたしはわたしで段々情緒も安定しだして、なんとなくこのままで行けんちゃうんと思ったが、現実的には事態は悪い方向に進んでいて、日々の仕事や家事や子供の世話やPTAの用事やを大量に抱えた嫁さんの首根っこを抑えつけて、私が持つべき重荷を嫁さんの背中の上にどんどん乗せてるだけの状態だった。

 

6月11日。早番のあと始めての心理カウンセリングを加古川で受けた。持ち時間の50分は最近の自分と夫婦に起こった出来事などを話すだけで終わってしまい、いったいこれの何処がカウンセリングなのか、これなら友達や仕事場のパートさんに話した方がええわと思った。その日は前々から大鍋さんと呑む約束をしてたので、岩崎酒店と路上で2時間ほど呑む。そういえば自分が荒れ出した4月26日も岩崎酒店でひとり日本酒1合呑んで帰ったなと思い出す。大鍋さんと別れ、自宅に戻ると嫁さんはまだ起きていた。嫁さんは眠たそうにしていたが、ちょうどいいやとお酒を勧め、晩酌しながらしばらく話す。

 

その日の朝、私が仕事に出かけるとき、玄関で見送りしてくれる嫁さんから些細な子供らの心配ごとを聞いた際、私は嫁さんに「まあ、そういう時期やし頑張ろう」みたいに声かけ、そのあと電車に乗ってから、なんか無責任な言い方したかなと思い、「いっつも良くしてくれてありがとうな」みたいなメールを嫁さんに送っていた。ほんで昼頃に「こちらこそありがとう」いう内容のメールが届いたので、それにも私は満足していた。

 

しかしその夜、嫁さんと二人話してると「忙しいときにあんなメール送ってこんといてくれんかな」と怒り心頭に達した感じで言われ、私も酔うてはいたが「マジで?」と驚く。嫁さんが云うには、仕事も家事も忙しい最中に、あんなどうでもいい内容のメールが届いたら「ハァ?」ってなるし、返事の仕方を間違えたらブチ切れるやろから、そんなんにイチイチ気を回すの嫌やねん、と云うことであった。確かに言われた通りで、何を私は一人で甘ちょろいロマンチックに浸ってたんだ、事件は会議室で起きてるんじゃなくて現場で起きてるのに、あーそうかそうかと理解し返事したものの、やっぱりそこでも嫁さんに冷たくされたと感じて、抑えきれない怒りがまたドバッと吹き出てしまう。

 

こりゃ寝れんパターンだから、とにかくお酒を沢山呑もうと思って、ライブのお土産とかでもらうパック酒を持って外に出る。今度は河原には行かずに住宅街の中を歩き、モヤモヤが心に突き上げてくる度に電柱を殴ったり、フェンスを蹴ったりする。パック酒がなくなると自宅に追加を取りに戻り、またブラつく、みたいなことをおそらく3回繰り返したと思う。

 

6月12日。昨晩いつ自宅に戻って来たのかわからないけど居間の長椅子で目を覚ます。壁の時計を見たら5時半で嫁さんが弁当の支度を始めていた。また1時間ほど2階の布団で寝て、そのあとはいつも通りに朝の用事を手伝い、嫁さんと二人向かい合わせで朝飯を喰う。私は昨晩の件を「ありがとうってメール送って怒られるとはな」と嫁さんに嫌味たらしく云う。そのうち嫁さんが涙をボロボロ涙を流しながら「私のことほんまに好きなん?やったらなんでそんなことばっかりするん?」と嗚咽するので、私は「そんなん好きに決まってるやん、いっつも云うてるやん」みたいな感じで返し、泣いてる嫁さんの背中をさすりながらなだめる。あの時、ただ動作として嫁さんをなだめてただけだなと、今はわかる。

 

その日、私は仕事が休みだったので嫁さんを仕事場まで送り、そのあと厄除け神社に行ったりIKEAや運転免許の更新に行き、夕方5時にまた嫁さんを仕事場まで迎えに行く。仕事済んで助手席に座った嫁さんに「IKEAでベッド買うて来たで」と伝えると「うん」とだけ答え、一瞬間をおいて「あのさ、ちょっとお願いしたことがあるんだけど、今から一緒に実家行ってくれない」と告げられる。

 

私の実家の両親には嫁さんの方からあらかじめ連絡してたようで、実家の居間で向かい合わせに座って嫁さんが話し出す。「会話の内容、スマホに録音しますね」と言って机の上にスマホを置き、深呼吸してから嫁さんが話し出す。「もしかしたら覚えてないかもだけどね」と云う出だしだったと思うが、その後告げられたのは、

 

私が前の夜にパック酒飲んで外を歩き回ってる間、嫁さんは心配で眠れず、そして私が自宅に戻って来た気配がしたので1階に様子を見に行くと台所で私が手を洗っていた。様子を伺おうと手を洗ってる私の近くに寄ると、私が急に後ろを振り返り、殴りかかろうとして来た。そしてしばらくして手を下ろし、「お前どついてもうたら終わりやからな」と言って、ソファーに寝転がった。嫁さんは話を聞こうとしばらく居間に居たが、そのうち私のイビキが聞こえて来たので自分の布団に戻り寝ようとしたが、朝まで一睡も出来なかった。仕事場に行き、会社の同僚らにその話を聞いてもらうと「完全にDVやん」と教えられた、という内容だった。

 

嫁さんが「DV」と言った瞬間、私も「DV」だと思った。でも嫁さんと出会って今まで22年間、自分にとって「DV」なんて関係ないことだと思っていた。自分は情緒や性格に不安定なとこはあるけれど、どちらかといえば話のわかる人間で、良い旦那の部類にきっと入ってるに違いない、そう思っていた。嫁さんからの申し出で、2〜3日私が実家に戻り、別で住むことになった。

 

ネットで「DV 加害者 特徴」と検察すると、DVする人の傾向がいくつも出てくるのだが、読んでみるとほとんどが自分に当てはまるか、思い当たる内容だった。DVの加害者が持つ人格障害などの項目を見ると、それも心当たりあることが多く、今まで自分が思っていた自分と、本当の自分の内面と、嫁さんや子供、周りの人が私に対して思ってた自分とがあまりにも違い、どうしていいのかわからなくなる。

 

嫁さんと付き合い始めの頃から私は今のように激昂する性格で、例えば嫁さんが良かれと思って洗濯したセーターが縮んで着れなくなってしまった、それだけのことに対して滅茶苦茶大げさに責め立て、落胆した素振りを見せ(お前のせいで俺はこんなに気分が沈んでいる)をアピールしたり、2年に1回くらいのペースで、セックスやスキンシップを邪険にされると、その家から居なくなってしまい(セックスをさせないお前が俺をこんなに無茶苦茶にさせている)を顕にし、自宅の壁を蹴ったり殴ったりして怖がらせることで、無意識に嫁さんを自分の思い通りにさせようとしていた。学生の頃、居酒屋の喧嘩で私が人の頭をビール瓶で殴ろうとした現場にも、嫁さんはそばに居た。下手したら自分もあんなことされると思っただろう。

 

しかし私自身には嫁さんに圧力かけたり脅かしたりしてる自覚がほとんどなく、自分は温厚で傷つきやすく人情味があり、嫁さんを威嚇するけど実際には殴らない、DVとか全然しない大丈夫な人、そう思っていたのだ。嫁さんはずっと私の威圧的な態度や激昂する性格に怯えながら生きてきたのは違いないけど、嫁さん自身もそのことをDVだとは認識しないまま、DV旦那がいうなりに「私にも悪いところがある」と、私のいう通りにしたり、我慢してきたのだと思う。

 

実家に戻って3日経ち、6月15日。お酒を辞めたので、夜ぜんぜん寝れなくなり、実家の近くの内科に睡眠薬をもらいに行く。そのあと嫁さんに電話して話し合いをお願いする。嫁さんは実家の両親と4人で話し合いたいと言ったが、父親はもう話を聞くのも辛そうで、なので喫茶店に二人で行き、まず嫁さんの話を聞いた。嫁さんは離婚する方向に気持ちが向いていたと思う。これまで自分が私の激昂したり威圧的になったりする態度に怯えながら、怒らせまいと気を使い、私のいう通りにできない自分を時には責めたりし、思い返せば生きた心地がしなかった、あなたが抱えてる不安や寂しさを子供や私や周りの人に押し付けないで欲しい、そんなことを私に向けて言った。私自身、今わかる範囲で嫁さんの言ったことを言葉の上では全部受け止めれたけど、実感として即座に全て理解出来てないようにも思った。ひとしきり今後自分がしなければならないこと、これまで嫁さんや子供や実家の家族、親切してくれる周りの人に対して申し訳なく思うことを伝え、とりあえず一緒に自宅へ戻らせてもらうことになる。喫茶店の席を立って後ろを見ると、地元のママさんソフトボールチームしてそうなおばちゃん10人くらいが、一様に顔を伏せて肩でクククと笑っていた。

 

その日の夜は、もう一軒申し込んでたカウンセリングに行く。担当の先生に、これまでの出来事を一通り話す。そのあと先生の誘導と私の吐露で、私が心の中で抱え込んで姿すら見えなかった黒い塊が、ここにこんな感じであるよとイメージさせてもらう。この塊に振り回されて落ち込んだり怒り狂ったりしてたことを教わる。私はその塊を抱えたままある程度コントロールしつつ生きるのが大人なのかと思っていたが、先生はその塊はいつかなくなると教えてくれた。その塊が何なのか、いつどうやって出来たのか、どうやったらなくなるのか、まだ何もわからないけれど、それを今までは嫁さんや子供や実家の家族や会社の人や周りの友達みんなに押し付け、野球部を脱走したり転職を繰り返したり、パチンコやサラ金や大酒に溺れたり、自分の弱いところをずっと無意識に自分以外の誰かや何かしらの出来事に責任転嫁しながら自分は逃げ回ってばかりで、最終的には嫁さんをギリギリまで追い詰めて苦しめ、その結果自分自身の人生を破滅さすとこまで導いてしまったのだ。

 

この先どうすればいいのか、自分に元から備わった考えだけでは、いい方向にはなかなか進めないと思う。何か決定的に足りないもんがあるように思うのだけど、それが何で、ほんでどうすれば埋まるのか、わかるような気もするし、わからないようにも思うし、またそこから逃げてるだけのような気もする。ここ3日間、毎朝嫁さんにそういうことを一言二言叱られている。

 

ブログにかかる時間と労力を減らして、少し頭を休ませた方がええかと思い、ブログを辞めますと一昨日ホームページに書いた。翌日にそのことについて嫁さんから冒頭のような激励があり、これを書いている。

 

今朝は、これまでブログに書いた周囲に対するいたわりのない無神経な態度について厳しく注意を受けた。世間の野次馬相手にばかりサービスしてないで、ちゃんと自分を支えてくれてる身の回りの人にサービスをしなくちゃいけないんじゃないのかと指摘され、嫁さんの言う通りだと思うし、そう思ってブログをやめていた。嫁さんに対するDVについては深く反省して、何かしらの対策を自分自身に課して行くのを第一にし、カニコーセンの活動はその次に回します。

 

嫁さんは今日役所で離婚届けをもらってきて、それに私がサインをして、嫁さんの会社の机に保管し、嫁さんがサインすればいつでも離婚が出来る状態にしておくとのこと。私はギリギリの状態に置かれてるのですが、これまで私のDVで嫁さんをギリギリの状態に追い込んでいたんだし、丁度折り返し地点的な年齢で今度は私がギリギリをやる番なのかなとも思います。自分がなんとか大人として成熟し、ほんでこんなこともありましたね、なんて言えるようになりたい。普通の大人として現実が見えるようになりたい。家族みんなが健康であれるように頑張りたい。

 

とりあえず何をしていいのわからないので、多分違うと思うけど最近は加古川の河原を全力疾走したりしてます。何か前向きないい案がありましたら直接会った時にでもご指導ください。これまでブログで迷惑かけた方に対して謝ります。本当に申し訳ありませんでした。

 

ていう訳でブログ辞めます。