ブログ日誌59

 

一ヶ月ぶりのブログ日誌。ブログ書き始めて9年くらい、途中で2回辞めてるけど、それ以外で1ヶ月更新せんかったとか、もしかしたら今回が始めてかもです。まあどうでもいいんですけど。1ヶ月何してたかというと、とくにいつもと変わりなく仕事行ってお酒飲んでのくりかえしで、しかしコロナの緊急事態のあれでライブがことごとく中止になってしまい、どうやって昼飯代稼ごうかなと考え、noteに有料の記事書いたり、火力発電所のバイトに入れてもらったりしながら食いつないでたので、無料のブログに使う時間がありませんでした。食いつなぐと言っても普段の仕事で給料はちゃんと頂いてますし、夫婦共働きなので今現時点お金にすごく困ってるってわけではないのですが、わりかし自分はお金の使い方が粗くて、毎日お酒も飲みますし、昼飯にスーパーのパック寿司とか食いたいですし、なので常時副収入が少し必要なのです。

 

 

少し前にnoteで買った小野ほりでいという人の「平気で生きるということ」いう有料コラム36本を読み終えたんですが、結構面白かったです。自分にとっては凄くタメになることが書いてありました。「平気で生きる」ていうのがどうゆうことなのか、まずそれが自分にはピンと来なくて、でも読み初めてすぐに自分が平気で生きられない方の人なんだなって分かりました。私はかなりネガティブな性格で、凄く傷つきやすいし、感情に振り回されるし、人や物に依存しやすいし、外面ばかり気にするし、嫌なことネチネチ覚えてるし、朝起きてから寝るまでずっと「死にたい」とか「消えたい」って心の中で繰り返してるし、なんとなくスッキリしない気持ちで居るのは知ってたけど、自分以外の周りの人もだいたいそんなもんやろなと勝手に思ってて、でもそうじゃないらしいですね。そんな平気な人が居るってことを、本読んでわりかし始めてな感じで知りました。コラムの中では平気じゃない人がなんで平気じゃないか、どうやって平気に近づくかみたいなことが、哲学や心理学や宗教の難しい本から引用したりしながらも、親しみやすい言葉で分かり易く解説してあり、と言っても私は本読みがあまり得意じゃないので、何度も読み返さないと理解できなさそうだないう箇所も結構ありましたが、それでも一通り読んでみて、これはええなってフレーズがいくつもありました。

 

画像にリンク貼っておきますので気になる方はチェックしてみてください。

 

 

36本のコラムのうち最初の方の内容はすでに忘れてしまってる感じですが、前半は伏線になってて後半でまとめる感じにも読めます。

 

 

最後の方にあった、まとめ的な文章の一つ。

 

いろいろと前置きがあるんですが「自分を許すことによって、世界を許すことができる」いうのはとても羨ましい状態というか、わしは何もかも許せない状態で発狂してることが多いですから、なんとかこの許す感じを体得したいな思いました。

 

あと、こんなんとか。

 

「自分の機嫌を自分でとる」みたいな言葉をよく目にし、なんとなく勘違いしてたなと思うのが「機嫌をとる」って書いてあると、焼き鳥を食うとか、お酒を飲むとか、お金を沢山使うとか、なんかそうゆう自分に対する接待的なことをずっと想像して実行してたのですが、これは完全に逆というか、たとえば焼き鳥を食うたり酒飲んだりするお金がない場合は機嫌が取れないし、逆に余計な不安要素が増えてもうてるやんいう話で、おそらく「機嫌」と「とる」の間に「ハンドル」や「舵」みたいな言葉が入ってたら、もうちょい分かりやすく、私も勘違いせずに済んだかな思います。私の様な依存体質の人は、気分を操縦するハンドルを自分以外のものに託してしまってる状態なので、ハンドル役の人や物(例えば嫁さんとかお酒とかお金とか仕事とか弾き語りとか)を失うことは、即ちハンドルがない状態、操縦不能に陥るしかなく、そういえば一昨年の例のゴタゴタのおりは不安が大きすぎてまっすぐ立ってられなくなったし、なるほどそうゆう仕組みだったのかと理解しました。

 

正しいとか正しくないとか、役に立つとか立たないみたいなことを基準にする考え方は、結局自分で自分を苦しめるオチみたいな前置きがあって、そうゆうことよりもっと根源的で大事な話やと思うんですが、正直バシッ!とは分からず、でもなんか「必要だから生まれたのではく、生まれたから生まれた」って考えるとホッとするというか、周りの人に対しても生まれたから生まれたんですよね、っていう感じで接しれたら楽なんかな思いますが、正直いうと私はそうことあんまり思えてない。「あいつ使えねぇんだよね」とか人のことを物みたいに扱う発言してる他人がいると物凄く腹が立つんですが、それはわしの中に同じ様な気持ちが確かにあるのが原因で、やのにそれはないことにしたいから、他人がそう言ってるのに物凄く腹を立ててみたり、目ぇ逸らしてただけやってんなと、小野ほりでいさん読んで理解しました。ていうのも、あれは鬼殺しをパックでギュンギュン吸うてた時期ですが、鬼殺しをギュンギュン吸うっていう行為は、善人ぶってる自分のコスチュームをビリ糞に破いて泥糞の無意識を空間に放つってことですから、それはもう秋祭りの神事とかで一年に一回くらいしかやったあかんレベルのことだったんですが、わしは数年前にそれをどこかしこで毎日やりまくってました。だから行けない店とか会えない人とか沢山居て、例えば具体的にはさざなみ書いてくれてたジョージくんとかにも「ほんま役立たずやな」とバカにしたり、酔ったついでの弱いものイジメみたいなことしたり、そのくせ一方では自分が持ってる差別意識やそれに対する罪悪感を必死に歌やブログで言い訳し、そういう何年か続けてたセコいことが、そっくりそのままバケツひっくり返す感じで自分の頭の上から降りかかって、ああ、こうゆう流れだったのかと、それも小野ほりでいさんのコラム読んで、より辻褄が合った感じです。役に立ってなくても立っててもどちらでもいいのに、自分は役に立ってないかも、やばいかもって恐怖心がすごくあったんや思います。他人利用して、そういうの気付かんふりしてたんですが、一昨年に嫁さんから「あなたはこの家に必要のない人」ってハッキし宣言されて、心臓止まりかけ、思考が吹っ飛びましたが、あの出来事で振り出しに戻れたなと今は思います。

 

話変わるんですが、ライブあります。よろしくです。