ブログ日誌46

 

先週。次のライブまで10日以上あるから今のうちに楽器の修理しようと思い、ネットでお店を探すと自宅から自転車で5分くらいのところの住宅地に修理やってるとこ見つけ、ホームページとかもあり、サイトのレイアウトから誠実そうな雰囲気も漂って、とりあえず電話してみる。店に電話してみたら出なかったので、ホームページに書いてあった携帯電話の方にかけてみると男の人が出て、修理の旨を伝え「出来れば今日持って行きたいんですが」とお願いすると「ちょっと今出先で午前中ダメなんですが、昼には戻る思うんです」というので「じゃあ戻られる頃に持って行きます、何時頃戻られますか」と聞くと「12時半頃には戻ってるかな、いや、今日は雨降ってますし、雨の中ギター運ぶんも大変でしょう」と言うので「傘さして行きますし、自転車で5分くらいなんで大丈夫です」と言うと「何時頃来られます?」と聞いてきて「あ、お戻りになる時間に」と同じやり取り2回繰り返し、3回目「12時半戻れるかなぁ、、何時ぐらいまでOKですか?」→「2時くらいまでやったら行けますよ」→「2時かぁ、、ほんと雨の中来られます?」→「………」。一体この店主は俺からどうゆう返事を引き出そうとしてるのか、とりあえず今日はあんま都合よくないんやなとは理解し、というかこいつに修理頼んだら何回も同じ質疑応答くり返さなあかんぽいなと思い「ちょっとまた日にち改めますわ」と言って電話を切る。

 

でも修理はしたいし、どこか別のとこないかなと思って調べると仕事場の近くにもあるっぽく、とりあえず直で持って行くことにし、出勤時間より1時間半早く自宅を出て神戸駅に到着、いつもの無料自転車置き場に行くと

 

 

自転車がなかった。わしのことやから酔っぱらって全然別の場所に置いたかもしれんなと前日のことを思い返すと、遅番のあと三宗くんとコンビニ寄って喋りながら確かにこの場所に止めた。ここは自転車撤去が回ってこないスポットで、5年がかりでこの場所を見つけたのだが、もしかしてこの秋から条例とかが変わってここも撤去される範囲に含まれたかもしれないなと思い、自転車保管所に電話してみると、今日は雨だから撤去してないよとのこと。てことはパクられたってことだから、すばやく諦めた。

 

すばやく諦めたには理由があって、私は中学時代に何台もの自転車をパクっては神社に保管し、500円で友達とかに売ってたというあれで家庭裁判所に出頭したみたいなこともあり、しかし未成年だったので法律的に何かしらの罰を与えられるゆうのはなかったが、宇宙の法則的処罰はずっと受けてて、初めてチャリンコパクられたのが高校3年の夏休み、その時から現在まで26年間でおおよそ20台近くチャリンコパクられており、時にはサドルだけ取られ、替わりのサドルを買いに行ってる隙に今度は本体がパクられサドルだけ余らせてしまうとか、バイト終わりにチャリンコ無くなってるからあたり見回すと、巨人しか届かんようなビルの室外機の上にチャリンコが逆さまに乗せてあったりとか、連日チャリンコの鍵が外され「こんな鍵5秒で外せるぜbyドクタースランプアラレちゃんメガネ」てメモがサドルに貼られてたりとか、あとチャリンコ無くなって、ある程度探して見つからないから新しいの買おうと思って自転車屋に行き、けど自転車屋は定休日で閉まってて、仕方なく来た道を引き返し始めて5秒後、無くなってた自転車がまるで歩いてる私の後ろを付けて来てたかのように、今来た道のド真ん中にポツンと止まってたりだとか、そうゆうチャリに関するエトセトラは全て中学時代の罪を清めるための禊だと私は考えてて、一般人と私とでは自転車パクられることの意味がまるで違うというか、こうゆう出来事が一生続くだろうないう覚悟で生活している。雨の日とか晴れの日とか関係なく、ていうか元旦に原付もパクられたことあるし、パクられるのがコンスタント過ぎてなんかよう判らんサイクルをぐるぐるしてんな、と思い始めて四半世紀経つ。こうゆう言い方すると創価学会ぽいんかなと思うけど、前世とかまで遡らなくても、やっぱ悪いことしたら悪いことが巡ってくるゆうのは宇宙の法則的にあると思う。抑圧した罪の意識が知らずに働いて自分に罰を与え続けるゆうのもあるし、親の因果が子に報いとか、思わぬ形でフィードバックした過去の出来事が目の前に蘇るみたいなことは自転車以外のことでも多々あるし、いちいち気にしてたらキリがないけれど、今日自転車無くなったこともサンプルにしつつ、この先どう生きていこうかな?とか考えながら、雨の中テクテク歩いて修理屋に向かう。

 

 

で通勤路を少し遠回りする感じで修理屋に着く。飛び込みみたいな感じで修理をお願いすると快く引き受けてくれて、なんつうかプロぶってないというか、お客が聞きたくないアコギ講釈いちいち垂れんというか、庶民向けな接客が好感もてる店員さんで一安心。修理についての話が終わったあとも店内にあるギターを眺めたりさしてもろてると、店員さんから何気なく「演奏はいつも一人されてるんですか?」と聞かれたので「去年までは嫁さんとやってたんですけど、いろいろあって今は一人でやってます」と言わなくてもいい情報も乗せて答えると、店員さんは「は!」となり「まあ、ちょっと座ってくださいよ」と椅子をすすめられ、そこからしばらくは店員さんの家庭事情についてのネバーエンディングストーリー。このあと松屋でカレー食って缶コーヒー飲んだりしてから出勤する予定もあったが、こうゆう込み入った悩みを私も去年散々いろんな人に聞いてもらったし、今度は自分が聞く順番回ってきたんかなと思って、店員さんの話を尾上のカウンセリングの先生のモノマネもこころもち混ぜつつウンウン聞く。聞きながら、これも去年から散々思ったことだけど、だいたい年頃同じお父さんはだいたい同じパターンの家庭の悩みを持ってて、シンクロニシティというか宇宙の摂理というか、ただそうゆうのに自分も乗っかってるだけなんかな?と思うと多少気休めにもなったり、だから何事も当事者同士で話合いするいうのは非常に意義があるなとまた改めて思った次第です。

 

修理屋さんの話をひとしきり聞き、自分の話もそれとなく聞いてもろたりして、では修理よろしくお願いしますと店を出る。そして歩きながら、人それぞれの人生が数え切れないパターンで存在するもんだと思いがちだけど、案外同じ双六の上を出た目に従って駒をテクテク進んでるだけなんかもなぁ、とか思いながら仕事場の方へ向かってると

 

 

突如現れるパクられたチャリンコ。やっぱりコイツも歩いてるわしの後ろをついてきて待ち伏せた口だな。NHK教育テレビのみいつけた! の椅子の街みたいな感じで自転車の街みたいなんがあって、たまにそうゆう世界と行き来してもうてるんかもしれんと思った。落し物が見つかったんと何にも変わらん現象やけど、妙に不思議がってしまう中年親父の物語でした。

 

 

そして村井くんと行く姫路ネバーエンディングツアー最終便。姫路文学館の方から名古山霊園の方にチャリンコで向かう。まずカタ焼きそばみたいんが山盛りの解体現場を発見。

 

 

「カニコーセンさん、こっちっすわー」と言ってチャリンコどんどん進ませるスキンヘッドの彼は徘徊のプロであります村井徳松と申します。プロ、もう少しゆっくり自転車漕いでくれますようよろしくお願いします。

 

 

「カニコーセンさん、ほらデカい石です、めっちゃデカでしょ」と村井くんが紹介してくれたのは、デッカい寺かなんかの柱の基礎らしく、さっきから俺らデカいしか言ってねぇな。

 

 

そして名古山霊園に到着し、とりあえず便所で小便する。つい何週間か前にもここで小便してるし、今年は名古山霊園で小便ばっかする暦やな。

 

 

軍人墓地みたいなんの上から見下ろす姫路城。ハロゲンランプに煌々と照らされ、まるでアーク溶接の輝き。

 

 

仏舎利塔とはまた別の洞窟みたいなところにある、お釈迦様が修行してる像。この洞窟の麓に駐車場があり何台か車が停まってたので、カーセックスしてる奴いねぇかな?と思ってザーッと確認しましたが、カップルらしいのは1台も居りませんでした。まだ時間もそんな遅くなかったし、夏の夜とかまたチェックしに来てもいいかもしれないです。それにしてもお釈迦様がおなかペコペコで修行してるすぐ側でカーセックスするとか煩悩剥き出し過ぎで超興奮しそう。

 

 

名古山霊園でひと時を過ごし、また姫路城の方へ戻って村井くんとはバイバイし、サウンドトポロジーの方に合流。ちょうど片付け始まってて、適当にケーブル巻いたり手伝うフリしながら解散時間まで過ごす。

 

 

そして姫路城をバックに地方音楽愛好家肩寄せ合っての記念撮影し解散。わしももうぼちぼちシュリケンパプいう子くらいには有名なりたい。そんな感じで村井くんと行く!姫路サブカルスポットの旅は終了、お疲れしゃんした。

 

ブログしか興味ないカニコーセンファンの方に朗報です。サブスクリプションシステムでカニコーセンの楽曲配信始めました。随時アルバムごとに準備していく予定ですが、とりあえず初期のカニコーセンが今聞きまくれますので、聞きまくってください。あなたが1回聞くと私に0.025円還元される仕組みです。よろしくお願いします。→

 

 

今週末、和歌山でライブあります。そちらもよろしくお願いします。

 

11.14(土)ラジオ自問自答

場所)和歌山 本屋プラグ

出演)カニコーセン / 麗しの大三郎

時間)18:30

料金)1500円