ブログ日誌40

 

ゴートゥートラベルので安なってる国内ツアーみたいなんをネットで見てたら、SNSとかの広告がそればっかりになり、そうゆうのもいちいちチェックしてると、神戸から大分までの夜行フェリーがめっちゃ安なってたり、九千円代で神戸〜沖縄往復&宿泊出来たり、札幌とかも多分めっちゃ安くて、しかも旅先で使えるクーポン券が何千円分か付いてたり、11月もあんまライブの予定入ってないから札幌かどっかへゴートゥーしよかな思てる、と息子に話すと「まんまと乗せられてるやん」て諭されるような感じ。

 

まあそう言われるとそうなのかもやけど、自分の魂は生きてるうちに自分で成仏させたいから、遊びや趣味や何もかも、意味があってもなくてもとにかくやってみる方針で、お父ちゃんはゴートゥーしよかな思います。

 

 

では、たまプラーザの続き。

 

野球場の隣のグラウンド。ここもこんなに綺麗じゃなかったと思う。もっと全体的にガタガタしてた気がする。大学に来てラクロスという競技を生まれて初めて見た。なんかかったるいスポーツやなぁと思ったけど、可愛い女の子の部員が多かったように思う。全く私には縁のない世界の人たちだったけど。

 

 

グラウンド脇の並木道を少し行くと脱走した寮。自分がどの部屋に住んでたとか忘れたけど、どこかのベランダでラッキーストライクを吸ってた。同部屋の先輩がたまに夜うなされてて、翌朝「堤、おれ昨日の夜、うなされてなかった?」と聞くので「うなされて苦しそうにされてました」と伝えると、実家のおばあさんの生霊がたまにベランダから覗いてるらしく、笑いごとじゃない雰囲気だったけど、あの先輩は割と社会的上昇思考は強かった感じするから、今頃は会社の偉いさんとかになってるかもな。けど相当自分の気持ち抑圧しながら野球部続けてた風にも見えて、私はあんな風にはきっと出来ないなと思ってた。ほんで脱走した。結局はそこから自分の人生が陰気な方に向かっていったけど、前兆なんかはもっと昔からあったように思うし、だからもうそうする運命というか、きっと小学2年くらいからのキャラクター設定に無理があったんのかもしれない。

 

寮の半分は野球部専用で、もう半分には他の生徒も住んでいた。早朝、この並木道のあたりで掃除か何かしてると、あの子は多分ラグビー部だったと思う、コンビニの深夜バイトから自転車で寮に帰ってくるのに出会って、廃棄の弁当とか菓子パンとかいっぱいもらってるのを見て、おれも自由にバイトとかしたいなーって思った。

 

 

携帯電話もメールもない時代で、上野のアメ横でイラン人から買った偽造テレホンカード使って寮の向かいの公衆電話から高校の友達とかに電話してた。大学の野球部の同級生はみんな結構ええ子らで、わりかし仲良くしてくれてたようにも思うけど、あんまり先輩とかと話すのは得意じゃなかった。寮に入って結構早いうちに脱走したいなと思ってたけど、誰かに相談したとかはあんまり覚えてない。たしか今野球部の監督してはる1つ年上の先輩から「悩まない奴もいるから堤は悩めるだけいいじゃんか」みたいな感じで励ましてもらって、何がいいのか今もって分からないのだけど、多分もう先輩が居るそっちの世界に自分が居続けるのはしんどいし無理あるなと思って、ブルーハーツの月の爆撃機ばっか聞いてた。

 

 

秋頃に高校の野球部の監督、高三の担任の先生、あと親しい先輩とか何人かに野球部辞めたいみたいな相談の手紙を送った。野球部の監督からは返事はなかった。高校の野球グランドのバックネットには今もあるか分からないけど「闘志無き者は去れ」ってトタンの看板が掲げられてたから、まあそうゆうことなんやと思った。担任の先生は手紙で返事をくれた。自分の人生に誠実であることが大事やと書いてくださってて、けど野球部やめるのが自分の人生に誠実なのか、続けるのが誠実なのか分からんかった。秋季リーグ戦の手伝いみたいなんで神宮第二球場に度々行ってて、その帰りに世田谷の不動産屋とか適当に入って、敷金とかがない風呂なしアパートを自分で勝手に契約し、引っ越し代は年末に宅急便の仕分けのバイトに行って多少は賄ったかもやけど、不足は何やかんや嘘ついて親に振り込んでもらってたと思う、私のことだから。25年前のことを今思い出して書きながら、全く誠実じゃないなと実感する。ただ思いついたことを思いついたままにやってるだけで、ちょっと耐えてみるとか、やり過ごしてみるみたいなことが殆どなく、世の中の仁義的なことも完全に疎かにしている。そんなノリのまま20年以上過ごしてきて、子供も思春期に差し掛かって、ほんでとうとう家族を巻き込みつつ父親として2020年に崩壊する、みたいな四半世紀の流れかなと思う。

 

 

年末の帰省で寮に人がいなくなったのを見計らい、赤帽のおっさんに頼んで時間ピッタリにゴミ捨て場に集合し、布団とか寮から盗んだ2段ベットとかを軽トラに積み込んで、三軒茶屋のアパートへ逃げた。その後も数日は平和島まで荷物の仕分けのバイトに行って、あとのことはCDのセルフライナーノーツに書いてあります。良かったら買うて読んでみてください。

 

 

脱走したといっても結局は後日寮に来て、当たり前だけど野球部の監督と直接面談しなければならず、でも脱走→面談の流れじゃないと野球部辞めれなそうと当時は思ってたんだろう。過去に同じパターンで脱走した部員に監督が激怒したみたいことを聞いていたので、そうゆう嫌な感じも覚悟してたけど、あっけなく話は片付いて、なんやったら将来床屋か食堂でもやってみれば的なアドバイスをもらったり、なんか肩透かしやなと思ってたが、それは監督がその時点で解任されることが決まってもうてたからやなていうのは、翌年学校の中庭で掃除係の職員として作業してる監督に出会って分かった。あんな鬼みたいな表情してたおっさんが、「おれも普通のおじさんになっちゃったよ」と、ほのぼのとした表情で喋るおっさんに変わるんやから、監督自身も野球部辞めれて良かったんちゃうかと内心では思った。今でいう自己肯定感の低い人やったから、部員からのヨイショを常に要求し、カリカリしながら監督の職務に当たってたと思う。

 

来週ライブあります。ブログの込み入った詳しい内容など、私の人生に関するご質問も現地で受け付けます、どうぞ。

 

10.27(火)悲しい夜は自由になれる

場所)神戸コマヤ

神戸市中央区相生町5丁目10-22

出演)光玄 / カニコーセン

時間)OP19:30 / ST20:00

料金)1000円(飲食持込自由)

◎West Side KOBEを代表するベテランフォークシンガー光玄さんと2マンライブです。神戸駅のスーパーコーヨーが先日リニューアルオープンしまして、弁当&惣菜がかなり充実してますので、ぜひお食事お酒買い込んでからコマヤまでお越しください。