ブログ日誌3

夜、布団に入って寝ながらツイッターをぼんやり眺めてると、自作のアニメーションに自作のメッセージソングをのせた、結構どっちもうまい感じの動画があった。アニメーションは可愛らしい感じの女の裸おどりで、歌詞は、「とにかく何か始めよう!」みたいな感じだった。何でもいいじゃん、どんな趣味でも、迷ってないで、始めよう、ほら勇気出して、何か始めれば何か変わるし、ぐずぐずしてないで、ほら、早く、表現を、何やってんのさ、さっさとしろよ、やる気あんの!?無いの!?無いなら早く寝ちまいな! そんなキツい言われ方はしてないけど、20代前後で浮上する何かやらなきゃシンドローム、患う人は患うし、患わない人は患わないと思うけど、そういうのに宛てられたメッセージソングだった。聴きながら余計なお世話だと思った。

しかしそのシンドロームについて、自分はどうかというと、10代の終わりころから現在まで30年近くまあまあ重篤なままで、だからツイッターの曲にいちいち反応してしまうんだと思う。「何か始めなきゃ病」は慢性的な寂しさに堪えられない、これも強迫神経症の一種だろう。寂しさに堪えられない病が転じた自分の問題行動として、子供の頃の万引・窃盗・カーセックスの覗き、大人になってからのパチンコ・風俗・借金・酒乱・深夜徘徊、これらが挙げられますが、その病から逃れるためには、やっぱ「何か始めなきゃ」いけなくて、自分はロックバンドさえ組めば救われる、そう思っていた。結局ロックバンドは組めなくて、だけど弾き語りでライブするようになったので、一応は何か始めたことにはなった自己認識で、何か始めたことと引き換えにパチンコは辞めれた。それは結構よかった。しかし慢性的な寂しさは何か始める前と後とでは何も変わらなく、たぶんフジロックに出れたとか、ファンの女子大生とセックスできたとかくらいでは焼け石に水かもな、と思ったりもするが、フジロックにも出てないし、女子大生のファンもいないので、本当のことは判らない。

その後も布団にもぐりながら無意味にツイッターを繰ってると「神経症的傾向の強い大人は、「夢」を実現すれば、今抱えている問題が一気に解決すると思っている。」と加藤諦三先生Botが言うてるのに目が止まる。何となく思い当たるフシもあるけど、夢は実現できそうもないので「何か始めなきゃ」とは別の方法で心のモヤモヤを解消したいなと思う。やっぱヨガかな、座禅かな、ってまた何か始めなきゃの方向で考えてしまう。モヤモヤを解消することばかり考える人生って、何か寂しい。

コロナウイルスの騒動で自分が参加する予定のライブが中止になったり、仕事場もお客さんが少なかったりする。客商売してる人とか景気悪くて気の毒に思うけど、そうゆうの高みの見物的に好き勝手言うてる年金暮らしのおっさんが仕事中に話しかけてきて「ここだけの話(コロナに感染してる人)3割外国人らしいで」とか、ありえんくらいの差別発言。「神戸は東灘から向こうがやばいらしい、まあ三宮くらいまでかな、新開地はべっちょない」とか、何を根拠にですか?とか聞くのも馬鹿らしいことを嬉しそうに喋ってて、そういう人に限って代議士の応援とか仕事でしてたり、ほんま政治とか役人とかその周りで飯食うてる人間がいっちゃん品がないよな、とか一絡げにしたこれも一種の差別なんでしょうか。そんな人に腹立てるエネルギーが先ず勿体ない。