ブログ日誌2

 休みの日の午前中。「靴のヒラキに仕事の靴買いに行くけど、よかったら一緒にどう」と妻に声をかける。妻は「べつに買うもんないし」ということでヒラキDEデートは却下。1年前の私だったらデート断られて拗ねてたかもだけど、もう大丈夫。それぞれの人生を楽しむ。ていうか軽四乗ってヒラキへ夫婦で靴買いに行くのが「デート」やと捉えてることがそもそもおかしい気もするし、「人生を楽しむ」=「ヒラキへ靴を買いに行く」で合ってるのかも自信がない。

 一人無言でヒラキのエスカレーターをのぼる。新学期に備えて小学生連れの親子が文房具やら上靴を買いに来ていた。自分にもこんな時代もあったなと思い返す。

 買い物は5分で終わり、また自宅に戻る。戻る途中で、田んぼの真ん中にモーターボートがあるな、と思い、わざわざ車で近くまで寄って写真を撮る。SNSに投稿すれば3個くらいイイネもらえるかも、そう思って2パターンくらい写真を撮ったのだが、虚しくなってきて投稿するのを止める。休日の過ごし方が分からなくなって、焦ってる自分に気付く。大〜きく構えて行こうぜ〜。

 昼は牛丼弁当を車で買いに行く。買いに行くというか、妻が買いに行くのに付いて行く。ブログでの呼び名を「嫁さん」から「妻」へ変えたのは、できるだけ甘えてる感を出さないための工夫なのだが、根本的に甘えたい感がなくなったのかといえば、5パーセントくらい減っただけで、ぜんぜんまだまだ。しかし表向きには45パーセントくらいは減らせれてるという自己評価で、先ずフォームから入るのも一つの方法ではあるし、甘えたい感を自分で処理できるようにしないと先々で自分が鬱病とかなって困ることは大体わかってきてるし、だからといって牛丼買いに行くの付いて行くぐらい別にええやんけっ、とも思う。

 買ってきた牛丼弁当も5分で食べ終える。頼まれてるコマーシャルソングが何曲か残っててせなあかんねんけど、なんとなく気が進まない。布団に転んで本でも読もかとも思うけど、なんとなく休みを無駄にしてる気がしてくるのが神経症的なんだろう。喫茶店で読書すれば良い休日っぽいかなと思って、チャリンコで出かけ、入ったことない喫茶店に入ってみる。

 入った瞬間、客席でのんびり雑談してたお店の夫婦が急に立ち上がり、蜘蛛の子散らす感じで持ち場に分かれるプロの早業を見せてくれる。もう歳いった夫婦なんやから、そんなんせんとゆっくり客席座っといてくれた方が、お客としても気兼ねしなくて済むのになと思うが、お客に対してのケジメみたいな動作なんだろう。

 コーヒーと頼んで本を読もうとするが、壁にかかってるテレビが煩い。「そこまで言って委員会」いう番組が大音量で流れていた。店のカウンターの方に引っ込んだ店の夫婦の会話も聞こえてきて、コロナの対策がどうのこうのと言っている。私が店に入ってくる前から、夫婦は「そこまで言って委員会」を見ながら二人で討論会をしてたのだろう。なんか、この世界の片隅すぎてしんどくなる。コーヒー代が勿体ないから少しは読書しようと頑張るが、辛坊治郎とその他のおっさんらが煩すぎて全く文字が頭に入ってこない。

 本を読むのを諦めてスマホを取り出し、ツイッターを指で繰ってすぐ森田正馬先生のタイムリーなツイートが目に止まる。ほんま大好き、森田先生。で、ほんま嫌い、この番組。なんなん?なんでこのおっさんらはこんなに姿が醜い上に煩いの?自分の姿の醜さに逆ギレしてるの?せめて煩いか、それか醜いかのどっちかだけにしてよ、僕が言うてる姿の醜さていうのは、顔の形とかスーツの感じとか革靴のテカりとか白髪染めの塩梅とかそんなんじゃなくて、全然おもしろいこと言えてないのに、なんでそんなにおもしろいこと言えてる風に自信満々なん?ていうことで、あなたらが物知りやってことも小さい頃から親の言う通りに勉強頑張ったことも認めるねんけど、おもしろい感じにぜんぜん言えてはないから。(や〜別にぃ〜おもしろい感じしようと最初からしようと思ってませんしぃ〜)、とかええねん!せやったらもっと小さい声で話せ!十分聞こえてるから!(だって~、小さい声で喋ってても面白くないじゃないですか~)、ってほら、ほらな!面白くしようとしてるやんけ!なんか、なんか自分らな、、、普段おとなしいくせにバス旅行の時なって急にひょうきんキャラクター変わってる子みたいな感じで対処に困るねん、急に米米とか歌われると寒いねん、、て、な、、、それ俺やんけ!俺が俺見てる感じで苦しなっとやんけ!おい!店のおっさんとおばはん!純喫茶っぽい店構えやねんやったら、ちゃんとそれっぽーに大阪有線のJAZZチャンネル流しとかんかい!こんなテレビがやかましい店で自己啓発本が読めるか!どあほ!

 

 コーヒー代払ってお店を出る。ちょっと興奮したせいか大便もよおしてきたのでヤマトヤシキで便所を借りる。百貨店の便所は清潔で居心地がいい。流れてるBGMもいい感じ。辛坊治郎への怒りも徐々に治まる頃、自分の個室の隣に駆け込んできた人がかなり切羽詰まった雰囲気で、ドッタンバッタンと便所のドアを閉め、カチャカチャと慌ててベルトを外す音が聞こえてくる。ほんでええ感じに流れてるBGMに、バヒュー!バヒュー!と尻から大便が吹き出る濁音がオーバーラップしてきて、どんなサントラ?と思ってシャザムしてみたら

アゼリン・デビソンさんの「ハッド・トゥ・グロウ・アップ」という曲でした。

 

 ぜんぜん本読めてないのでヤマトヤシキのタリーズコーヒーに入りなおす。やっぱチェーン店の方が自分は落ち着く。椅子の高さも丁度で読書しやすい。斎藤学ていう精神科医の人が書いたエッセイ本を図書館で借りてたので読む。

 1年前に調子崩してから自己啓発本とか心理学みたいな本とかよく読むようになり、精神的にしんどくて救われたい気持ちがあるから、それ系の本だとまあまあ集中して読める。ほんで自分に都合の良さげな要素を本の中から探し、なるほど!そうだったのか!てやりながら、自分の生い立ち〜中年になって狂うまでの裏ストーリーを書き直し、なぜ今こうなのかを勝手に分析し、この先どうすれば実家の父親家系の人々みたいに鬱病にならないか、ていうのを独自に研究するのが面白い。斎藤学さんのエッセイも面白かった。大事なとこはたまに写メ撮ったりもする。

 この一年自分にも家族にも色んなことが起こって、なんでこうなってしまったんだろ?自分は何で楽しくなれないだろう?って色々本読んだり考えたりするうちに、(文章の感じが前のブログの感じに戻ってきたので「妻」→「嫁さん」にまた戻します)やっぱ自分がぜんぜん精神的に大人になれてないことが嫁さんへのモラハラになったり、息子らに親としてどう接していいのか判らんかったりの原因やなと、前々からわかってたような気もするけど、でも何とかこのまま押し通せたらと放置してたとこがあって、そらそっちの方が自分的には楽やし、けどやっぱ全然アカンかって「今」という状況。息子が小さいうちは、自分の精神的な幼さを嫁さんに甘えたりモラハラすることで誤魔化してたけど、息子が成長期を迎えて精神的にも見た目的にも自分と変わらんくなったことで「じゃあどうやって俺は父親っぽくすんの?」って焦って、ほんで嫁さんへのモラハラをマックスにしてみたり、息子らを怒鳴りつけたりしてみたけど、あまりにも空虚な光景で、まるで子供の頃の実家の父親を見てるようで、ええ〜、なんで〜、なんでこうなってまうの〜、って頭がおかしくなったんだと思います。まあ家族には迷惑かけたけど気付かせてもらえて助かった。これは思春期になった長男が私に教えてくれたと言っていい。

 

で、斎藤学先生の本を読んでると

 

 母子関係は感覚的なもの、生物学的なものだが、父子関係は抽象的なもの、社会学的なものである。男は、自分の最も愛する者(妻や恋人)が最も大切にしている者(彼女の子ども)を「愛する」ことで、「真の父」になるのだと思う。これは、愛する者が愛する者に「嫉妬する」通常の心的体験から離れたアクロバットだから、どんな男にでもできるというものではない。自分の血を分けた子だからかわいいなどと言ってるうちは本当の意味で父親とは言えない。

 

 確かに仲良く嫁さんと喋ってる息子らの声を聞くと、自分の胸の奥が嫉妬でムラムラする時がある。そのムラムラが自分が大人になれてないという信号で、自分を楽しくさせれない原因がそこに表れてるならば、なんとかそれを取り除きたいのだけど、まあそれが自分にとっては難しく、今はとりあえず余裕かますフリでやり過ごしてるので、精神科の先生の本にそうゆうことが書いてあるのを見つけると、結構嬉しかったりもします。