コブログ214

なんとなく日々つまらんなあと云う想いが溜まると現実逃避で遠出したくなり、何ヶ月か前にもそんな症状が起こってどないしよかという感じで、鹿児島天文館の「洋酒と珈琲 水」さんにライブさしてくださいとお願いしてたのだが、いいですよ云うことで、昨日一昨日と仕事場に連休もらって一人で鹿児島へ行った。

10月17日水曜日。ライブ用の簡易PAやマイクスタンド等も持参するので結構大荷物を引き摺って朝7時に自宅を出る。荷物とギターケースを抱えて通勤ラッシュに混じるのは怖かったが、新快速は然程込んでなかった。しかしナメとったあかんのは三宮から神戸空港へ向うポートライナーで、三宮駅のホーム階に上がると各扉口毎に最後尾が何処なのか判らない長蛇の列が続いていた。通勤通学の人に加えてこれから飛行機で遠出する大荷物の人も多数見かけ、ちょっと根性入れんと乗れない感じ。なんとか牛々の車内に押し込んでもらいポートライナーが走り出す。窓から港の景色を眺めていると、ターミナルに停泊してる巨大豪華客船のデッキで中国人有閑マダムが優雅に太極拳をしているのが見えた。有閑マダム側の世界はあんなにも広いのに、どうして僕たちばかりこんなに犇めき合ってるのだろうか。

スカイマークは20キロまでは無料で荷物を預けれるので、キャリーカバンから10キロ分の荷物を出して手荷物とし、飛行機に乗る。機内でキットカットが無料で配られてたのだが、窓の外の景色ばかりみてて貰いそびれた。ほんで1時間足らずで鹿児島空港に到着。

レンタカー屋の送迎車で空港からレンタカーの営業所まで移動。平日なので全体的に空いており、送迎車には私一人しか乗っていなかった。車内のAMラジオで電話相談みたいなのがかかっており、運転手さんに「鹿児島のローカル番組ですか?」と聞くと、ニッポン放送のテレホン人生相談だよ、と教えられる。独特のトーンとテンポで、以前どこかで何度となく聞いたことあるような気もする。相談の内容は7ヶ月前にDV旦那から逃れて子供と一緒に実家へ戻ってきてるのだが、この先どうすればよいかと云う内容だった。晴れ渡って一面に広がる茶畑の爽やかな鹿児島の風景と、テレホン人生相談のどんよりしたトーンとのコントラストが面白く、聞き入ってしまった。

レンタカー屋で軽四を借りる。受付の最後らへんで店員さんが「最近、中国人の観光客が多いのですが、駐車場で当て逃げみたいな事案も多数あるとのことですので、お気をつけください」と云われ、思わず「それって中国人に限ったことですか?」と反論してしまう。当て逃げするかしないかは国籍じゃなく人柄でしょと思ったが、まぁ播州地方は交通マナーが悪く死亡事故が多いみたいなことも昔からずーっと云われてるから、そういうことを店員さんは伝えたかったのかもしれない。それとなく「当て逃げに気をつけるとして、具体的にどうしたら良いですか」と店員さんに聞くと「例えば駐車場で離れた場所に止めるとか」とアドバイスくださり、面倒くせーーと思ったのだが、店員さんに助言を求めておいてから、その助言を面倒くさいと思ってしまう私は、超面倒くさい客なのかもしれない。

 

ライブまで時間があるのでDEEP案内とかで調べたスポットに寄ってみる。

霧島市にある戦史館。この建物を独りでだとか夫婦で建てたのだとしたら凄い仕事だと思う。

 

テーマパークとして営業されてた感じで、入場料500円。カニコーセンのCD1枚の値段と同じだから、そんなに高くない。

自分自身や何かしらを鼓舞するスローガン。リズミカルな語感。

テレホン相談室の回答者にこのお店のご主人が居たとしたら、案外さっきのDV旦那から逃れて云々の相談にも、核心ついた良いアドバイスをしてくれるかも、、と思わせる格言たち。

テーマパークの隣りで食堂もされてたのだが、看板見る感じだとそんなに美味しそうじゃないので入らなかった。わたしはいろんなことを外見で判断する奥病な人間です。

ほんで外見で選んだ地元っぽいラーメン屋に入る。結構広めの客席を大将の男性と中国人の若いパート女性の二人でテキパキ手分けしランチ時の混雑を捌いていた。大将のもともとの指導がいいのか、指示を出すタイミングがいいのか、それかもともと出来るパートさんなのか、カタコトの日本語で注文の受け答えをしながらも、定食に付くおにぎりを握り出すタイミングや、作業する動きに迷いや無駄がなく、レジに入ってまた盛りつけに戻る際にはキチッと手を洗い、出来上がったラーメンに焼豚やらコーンやらを盛りつけて運ぶ動作は非常にスムーズ且つ美しく、脳みそと指先がストンと繋がった職人の作業を見るようで、一瞬にして恋に堕ちた。彼女が握ったおにぎりを口にする瞬間、彼女の二の腕を連想し、思わずムシャぶりついて一気食いし、飯粒が喉に詰まり咽せた。

鹿児島市街に近づくと桜島が見えてきた。あの山の頂上に稲妻が堕ち、岩が砕け、そして長渕剛が生まれたのか。

鹿児島市を一旦通り越して、南九州市にある知覧特攻平和会館に行った。

会館には主に特攻隊員の遺書とか遺品とか展示してあり、あとは関係者の証言とか特攻に至るまでの経緯とか、その他いろいろ。遺書や寄せ書きは達筆なのと昔の言葉なので読めないのが多かった。受付でイヤホン式の音声ガイダンスを配ってたので借りておけばよかったとあとで思ったが、あまり時間も無かったので、判るのだけ見て回る。ある遺書に添えられて、母親からの手紙も展示されてたりした。自爆攻撃で死なされる息子に「最後にナムアミダブツを忘れるな、そうすればアミダさまで私とまたあえるではないか」みたいな事が書かれてあった。諦めの果ての言葉にも思えるし、別れなんて永遠にない」と云う母親から息子に、まはた母親自身に向けた切ない励ましにも思え、でもどっちにしてたって虚しいだけ。愛する息子の体は翌朝には海の上でバラバラに砕け散って、何事もなかったかのように魚がそれを食べたりするんだから。やけっぱちの自爆作戦を美しげな人間ドラマにすり替えてジャニーズのイケ面にそれ遣らせるのもどうかしてるし、そんなん見て憧れる奴もイケ面の自爆に股間湿らす女も阿呆でしかないけど、僕たち大体そんなもんだなと云うのが、息子に寄せる母の手紙にも特攻隊員の遺書にも寄せ書きの日の丸にも、見ように寄っては全てが間抜けに見えて、つくづく私たちは悲しい生き物だなと思う。

展示されてた「一億みんなで飛行機をつくるのだ」と云う当時の雑誌のスローガンに涙が出る。なんでお前に云われて遣らなあかんねんと思う。今年の秋はデニムで決まり」みたいに云うなやと思う。でも今も僕らは返ってこない年金を払い続けたり、ユニクロのモコモコパーカーの広告チラシをジッと見つめたりしている。

平和会舘に売ってた200円の手ぬぐいを1枚買って鹿児島市街へ移動。移動中も車でラジオを聞く。鹿児島空港は山の方にあり、着陸する時になんとなく御巣鷹山にJALの旅客機が落ちる時の窓からの景色ってこんな感じなんかな、とか思ってたのだが、知覧から鹿児島市への移動中にタイミングよく坂本九が2曲続けて流れ、今日はそう云う日だということにしとこうと思った。

 

来週松山でライブさしてもらいます。よかったら見に来てください。