コブログ110

 平成29年大晦日。嫁さんと息子らが石川へ帰省するので、朝7時半に加古川駅まで車で送り、その足で有料洗車場に寄って車を掃除。ほんで自宅に戻って居間の本棚の掃除。盛大な掃除は家族が居ない時にするのがいい。なぜかと云うと掃除しながら埃の多さや片付いてなさにいつもキレてしまい、キレることでエネルギーを生み出すのが私なりの遣り方で、周りに家族が居ると雰囲気を悪くしてしまうから。

 私以外は4日間家を空けるのに、食パンやら冷やご飯やら汁の余り、食べかけのハンバーグ、生卵、その他使いさしの食材が台所に沢山残っており、捨てる訳にも行かないので、年末年始はそれらを中心に食べなければならない。居間の掃除の途中、あんまし腹も減ってないけど休憩がてら昼飯を喰おうと、余った汁に冷や飯をぶっ込み、卵とぐつぐつおかいさんにして、台所に立って喰う。ちょっと冷やご飯の量が多いけど、目の前から先ず冷やご飯を無くしてしまいたい欲求で、無理矢理に腹へと流し込み、また掃除を再開。しばらくすると急激な腹痛にみまわれうずくまり、身動きが取れなくなる。うわ、これ、膵臓悪なったやつちゃうやろか?と一瞬心配したが、30分ほど便所に篭って出すもん出したら腹痛は治まった。

 居間の掃除が済んで、夕方からは実家の墓参りに行く。線香つける用に持って来たライターにガスがぜんぜん入っておらず、線香3本つけたら火が付かなくなってしまった。墓場へ登る山道に、小雨で湿った落ち葉がガサガサと積み重なってるのを見て、ついさっき自宅の居間にDSのソフトが箱にも入れられず散乱し積み重なっていた有様を思い出し、チョッ、てなる。

 22年前の大晦日に兄は原付で転んで死んでしまった。大晦日だろうが正月だろうが、誕生日だろうがオリンピックイヤーだろが、病気や事故は暦に関係なく起きる。火事だって起きるし、気まぐれな通り魔は懐に牛刀を抱えて繁華街を歩いている。初詣客でごった返す天満宮の巨大賽銭箱の前に、火薬をぎっしり詰め込んだキャリーバックが置き去りにされている。死なない日常なんてない。毎日が哀悼で埋め尽くされる。冷たい雨を吸い込んだ墓石が鉛色の空に固まっている。線香がぜんぜん足りない。

 夜は実家で水炊きをよばれ、日本酒を呑みながら父母の話を色々と聴く。主題は年金のことと、葬式や法事や墓の手入れのこと、拝み屋のことなど。去年一昨年と親戚が沢山死んだので、葬式での誰の段取りがどうだったとか、そんな話を聞きながら、なんで死んだ人の扱いに延々こんなにもお金や神経を使わねばならないのだろう?と正直思ったりもする。お寺に永代供養頼むのに300万要るとか聞くと阿呆かと思う。神さまも仏さまも無くなってしまえばいい。単に私たちの生活を苦しめたり、生活ぶりの格差を生み出しとるだけじゃないか、わしは戒名なんて要らんよ、お父ちゃんお母ちゃんに付けてもろた名前を気に入っとるよ、みたいに赤く被れたことを息子が急に喚いて、年老いた父母が激昂し体にさわるといけないので、酒を呑みながら只々うなずいて聴いていた。久しぶりに3人だけで長く喋って、父母の子供の頃の出来事や、二人が結婚して子供が出来て、娘が病気してお金がなくて、みたいな話しも色々と聴いた。お墓の話より、昔ばなしの方がぜんぜん面白いし、役にも立つ。水炊きのあとも、紅白見ながら寝るまでお酒を呑み続け、知らないうちに父も母も寝てしまって、わたしも自分がいつ寝たのか憶えておらない。

 今朝はまた父母と三人で雑煮を食べ、仕事に行くからと実家を出しな、見送ってくれた母親が「ジャンパーでも買い、お父ちゃんに云うたあかんで」と小遣いをくれた。40にもなって親から小遣い貰うなんて恥ずかしいけど、有難く頂戴する。ジャンパー代に貰った小遣いだけど、私のジャンパーは20歳の時に原宿で買ったもので、あと10年は着れたら着たいし、買い替えるつもりはない。小遣いはジャンパー代にせず、貯金に廻します。お酒と貯金だけが近頃の楽しみ事です。

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コメント: 2
  • #1

    コメ奉行 (月曜日, 01 1月 2018 20:22)

    明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。話を聞いてあげるのが一番の親孝行だと思います。私の父は癌でなくなったので、昔話を聞こうとすると余命が尽きたことを露わにする様で辛く、切り出せませんでした。
    PS.お父ちゃんに云うたあかんで

  • #2

    カニコーセン (月曜日, 01 1月 2018 21:13)

    >コメ奉行さん
    明けましておめでとうございます。両親と話すと4分の1の割合で私への小言が挟まるり、素面で聴くの辛いのですが、お酒を呑んだら逆に楽しいくらいで、神さまの呑みものやな思います。