コブログ100

熊本競輪場の車券売場でひとときを過ごしたあとも目的なくブラブラする。地震から1月後に観て回った河原町問屋街や二本木あたりが1年半でどんな風に変わったのかレンタサイクルで観て回るつもりでいたのが、路面電車が混雑していた都合で予定を変更せざるを得ず、この時間から再び市街に戻ってレンタサイクル借りるのには時間も足らんので、とりあえず路面電車で健軍町と云う陸上自衛隊がある商店街へ向うことにする。路面電車の駅へ歩いてる途中、熊本商業高校の横を通ると「熊商デパート」云う文化祭みたいなのをしてたので入ろうか迷ったのだが、丁度電車が来てしまったので入らなかった。

 

健軍町は路面電車の終点で、アーケードの天井が凄く高い商店街もあるのだが、寂れ侵攻の最中だった。なんだか観るものもあまり無さそうだけれど、商店街と路地をジグザグに歩いて何かないか探す。

こう云うのもトマソンの本に写真で載ってた気がするのだが、何処がどうトマソンであるかのあらましは忘れた。

小さなラーメン屋の横の階段。勝手に人が上がらないようにバリケードとトラップが張り巡らされている北ベトナム風ラーメン店。

健軍町にもバンクシーが居る。

商店街脇の筋はスナックとか吞み屋がポツポツある。地震のせいかどうかは判らないがボロボロの建物も多い。

店先に貼られたチラシ群が冷たい風にビラビラ揺れている。その中に水俣病展が熊本城近くの美術館で開催されてるお知らせを発見した。こんなん遣ってるん知ってたら、最初からこっち行ってたのに、まるで反対方向にある観ても何の役にもたたん寂れた商店街来てもうて、時間減ってもうて、失敗したなと思ったけどここに来なけりゃ水俣病展がある事も知れなかったかもしれないし、わざわざ遠回りするように仕組まれてんな、ほんま。行くつもりにしてた子飼商店街を辞め、路面電車で美術館がある市街地へ向う。乗ってた路面電車の車両で、おじいちゃんおばあちゃん2歳の孫息子のチームがマクドのポテトを食べようとしたら、車掌の女性がバーッと来て飲食禁止の旨を伝えると、おじいちゃんは素直に従ったのだが、孫が「なんで駄目なの」と繰り返す。おじいちゃんは「きまりだから駄目なの」と孫に繰り返していた。そこはちゃんと「食べ物の臭いが周りの迷惑になるかもしれんから」「こぼしたら掃除が大変やから」って教えた方がええんちゃうん、と私はその時思ったのだが、2歳の子にそれを説明しても多分よう判らんやろし、あれはあれで良かったのだ。

水俣病展が開催されてるのは、熊本県立美術館“分館”とチラシにある。分館は本館の横にハナレとしてちょこんとあるのをイメージしたので、グーグルマップで熊本県立美術館を探すと熊本城の中にある。ついでに熊本城も遠巻きに観たらええわと、ぐんぐん城の坂を上がる。停留所から15分ほど歩き、天守閣があるゾーン横の二の丸広場と云うとこにバーンと出たら、そこでは賑やかなマンガコスプレイベントが開催されており、大鎌もったミニスカの女の子がポーズしてるのを、くすんだ色のジャンパー着たおっさんが頭逆さに一眼レフをカシャカシャ遣ってる。

こんな長閑な場所の側で水俣病展やってる?と疑問に思い、熊本県立美術館に分館も足して検索かけると、分館はついさっき降りた停留所の近くではないか。これまたわざわざ遠回りさせるわと、一瞬なにもかも嫌になりかけたが、おかげでお城の崩れた石垣やコスプレの太腿も観れたわけで、そんなにガッカリすることもないか。崩れた石垣をぼんやり観てると「ジグソーパズルみたいだね」と、通りかかった女子高生が喋ってるのが聞こえた。

15分ほど歩いて分館に到着。入場料1200円払い1時間ほど観て回る。観て回りながら、自分がすごく水俣病から影響を受けてることを知る。竹笠とワケ解らん漢字が描かれた法被を身に着けてするカニコーセンの格好は水俣病闘争の人の真似だし、「浜辺のくらし」云う歌のストーリーも水俣病の逸話に沿って作ってある。公害や裁判の記録とかまで読む時間がなかったので写真を中心に観て回ったのだが、心に突き刺さる写真が何枚もあり、その中でも深く胸を抉られる1枚に出会う。その写真は、東京か大阪かの裁判所とか公共の建物っぽい場所の広場に20代くらいの女の子が独り立ってる写真だった。少し離れた場所から撮影されており、遠目見る女の子は署名か何かをお願する素振りをしているのだが、周りには誰も人が居らずガラんとしている。一体何の写真なんだろう?と思って添えられた小さなキャプションに目をやると、女の子は水俣から一緒に来た仲間から少し離れた場所で、署名とカンパを街角の人にお願する“練習”をしてる光景らしく、読んで私は胸がつまってしまった。

 

患者を写した写真は公害病の恐ろしさを伝える側面が強いけども、和気あいあいとした何かしらのお祝いの写真や、症状で体がグニャニャに曲がってしまってる子供を心底可愛がる親の姿を切り取ったのや、絶望と愛情がごちゃ混ぜに詰まった写真を次々と観ながら、やっぱり絶望やし、でも人間ていいなやし、こんなん頭が張り裂けてしまう。わたしがこの先の人生でこれほどの絶望を経験することは無いかもしれないけど、はたして写真の人たちほどに家族や誰かを愛おしく思う時が訪れたりするんだろうか。それってやっぱり不幸のただ中にしかないのだろうか。

 

 

やや放心状態で展示を見終え、物販コーナーに行きついた頃には判断能力が残されていなかった。写真集や関連本を次々と手にとり、8000円使ってしまう。入場料と合わせたら1万円も水俣病に使ってしまい、完全に水俣病にして遣られたわい。美術館を出るともう日が暮れていた。水俣病展の衝撃と、勢いで散財してしまった後悔にプルプルしながらライブ会場の凛やへ向う。

 

水俣病展は12月10日までやってるみたいです。行ける方はどうぞ→ http://minamata2017.strikingly.com/

 

ライブもよろしく。

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コメント: 2
  • #1

    sho takahashi (水曜日, 06 12月 2017 03:13)

    友達から聞いて、カニコーセンさんのこと知りました。失礼な言い方かもしれませんが、生き方が新鮮に見えました。詩人の生き方だと。ブログも読みその感想は変わりません。これからも家族の皆さんとともにその生き方貫かれること祈ってます。

  • #2

    カニコーセン (水曜日, 06 12月 2017 07:09)

    ありがとうございます。路頭に迷うことがないよう頑張ります。